なぜ「農」なのか

今回は、「なぜ農なのか」ということについて書いていきます。

 

なぜ半農半Xシェアハウスなのか、についてはすでに書きました。

関連記事

【!】現時点での構想です。記事の内容は、追記・修正等を繰り返していく予定です。   「好きなことを仕事にするのはやめたほうがいい」   大学の事務員をしていたときに、何度となく言われた言葉です。   ある意味では、この言葉は正し[…]

 

半農半Xとは、小さな農的生活をベースにして自分の個性や特技を活かして社会に貢献していくライフスタイルであるわけですが、そもそもなぜ私が「農的生活」をベースにしようと思ったのか、という話です。

 

「なぜ半農半Xなのか」という以前に「なぜ農なのか」ということですね。このあたり非常に話がくどいです(笑)。

 

国民皆農

なぜ農なのか。

 

当然ながら、ひとつには自身の食の基盤を安定させるという目的があります。これは実益に則った目的と言えます。

 

しかし実際には、もっとぼんやりしたと言うか、「なんとなくいいよね」くらいの理由だったりします。

 

そう思うきっかけになったのが「国民皆農」という言葉、これは自然農法の提唱者である福岡正信さんの著書に登場する言葉です。

 

私は、実は、国民皆農っていうのが理想だと思っている。全国民を百姓にする。日本の農地はね、ちょうど面積が一人当り一反ずつあるんですよ。どの人にも一人一反ずつ持たす。(中略)自然農法で日曜日のレジャーとして農作して、生活の基盤を作っておいて、そしてあとは好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。(中略)これが最も楽に生き、国を楽土にする、一番手近な方法だと思います。

『自然農法 わら一本の革命』(福岡正信著・春秋社)より

 
読んだ瞬間、「あ、これはいいな」と思いました。実現可能かはともかくとして、もし本当にそんな国があったとしたら、それはとても強い…というか美しい国だろうなと思います。
 
また、福岡さんが書かれている「農で生活の基盤を作っておいて、あとは好きなことをする」というのは、まさに「半農半X」に通ずるものがあります。この本が出版されたのは1983年、半農半Xというライフスタイルが注目されるようになったのは最近のことですから、福岡さんの先見の明には驚かされます。
 
 

米づくり体験で感じた「安心感」

これまでの記事では、わりと理詰めで書いてきた部分が多いのですが、「なぜ農なのか」という問いに対する答えは、結局のところ感覚の問題…「なんとなくそれが良い、それが幸せだと思うから」ということなのかもしれません。

 

何を言っているかよく分からないかもしれませんが、私自身も何を言っているのかよく分かっていないので大丈夫です(笑)。

 

ただ、ひとつ具体的な体験として挙げることができるのは、今年初めて参加した米づくり体験です。

 

体験したのは米づくりに必要な作業のうちの一部ではあるのですが、実際に収穫するときの稲穂を見ていると、何とも言えない安心感というか充実感というか、そういったものを感じるのです。地に足が着いた感じ、とでも言いますか。

 

主食である米を(一部ではありますが)自らの手で栽培・収穫できたという体験によるところもあるとは思いますが、「その行為の意義に疑問を感じる余地がない」という事実がかなり影響しているのではないかとも思います。

 

普段、会社勤めをしていて、「自分は何のためにこの作業をしているのか?」と疑問に感じたことがある人は少なくないのではないでしょうか。

 

しかし、主食である米を栽培するという行為にはそういった疑問を感じる余地がありません。少なくとも、私は疑問を感じませんでした。生命を維持するために必要な農作物を育てているわけですから、当然と言えば当然なのかもしれません。

 

 

農ある暮らしを広めたい

というと、大きな話に聞こえますね(笑)。

 

これはごく最近までの私自身にもあてはまるのですが、

お金のためにしたくもない仕事をしていて、
「人生こんなもんだ」と折り合いをつけることもできず、
日々、言いようのないストレスを感じながら生きている人
がいるとしたら、
 
農ある暮らしがあなたの人生を今までより豊かにしてくれるかもしれません。
 
とだけは言っておきたいのです。
 
大切なのは、自分が感じている「ぼんやりとした違和感」から逃げないこと、その違和感と徹底的に向き合うことであると思います。
 
私自身もまだぼんやりしていますけどね(笑)。
 
ここまで読んでくれたあなたに、いつかお会いできるのを楽しみにしております。
最新情報をチェックしよう!