なぜ「半農半Xシェアハウス」なのか

【!】現時点での構想です。記事の内容は、追記・修正等を繰り返していく予定です。
 
「好きなことを仕事にするのはやめたほうがいい」
 
大学の事務員をしていたときに、何度となく言われた言葉です。
 
ある意味では、この言葉は正しいのかもしれません。
 
自分の得意なこと、好きなことを持っている人は多いとは思いますが、では「自分の得意なことや好きなことで、“お金を稼いで”生きていきましょう」と言われると、尻ごみしてしまう人がほとんどではないでしょうか。
 
でも、「自分の得意なことや好きなことで、“人に貢献”しましょう」であれば、やれそうな気がしませんか?
 
これから書く話は、ごくごく単純な話です。
 
 

半農半Xシェアハウスの本質的機能

なぜ、半農半Xシェアハウスなのか?
 
現時点で私が想定している半農半Xシェアハウスの機能は、以下のとおりです。
・食べ物と住居について、お金への依存度を下げる。
・「好きなこと、得意なことで人に貢献する人生」を実現する際のハードルを下げる。
 
より本質的に、一言で言ってしまうと、「enabler(可能にするもの、助けるもの)」としての機能です。私個人が、というより、この仕組みが「enabler」であることを目指します。
 
 

なぜ、したくもない仕事を続けてしまうのか?

以前に何度か(何度も?)職場でこんな会話をしたことがあります。例えば、冬になると頻繁にスキー場に出かけるスキー上級者の方との会話。

 

筆者の代理の
ねこターバン
それだけ頻繁にスキーに行くくらいハマってるなら、いっそのことインストラクターにでもなったらどう?
 
 
同僚
いや、自分の好きなことは仕事にするもんじゃないよ。
 
筆者の代理の
ねこターバン
なんで?
 
 
同僚
好きなことでお金を稼ごうとすると、いろんなしがらみが出てくるから。
 
 
筆者の代理の
ねこターバン
じゃあ、今の仕事を続けているのはなぜ?
 
 
同僚
現実問題、お金が必要。お金のためと思って、割り切ってやってる。
 
 
似たような会話をしたことがある人も多いのではないでしょうか。
 

「現実問題、云々…」という言葉が出てくると、「ああ、そうだね、仕方がないよね、現実問題」で終わってしまいがちです。

 

では、すべてを「仕方がないこと」として割り切らせてしまう「現実問題」とは、つまり何なのでしょうか?

 

彼らは、いや、私たちは何を「割り切って」いるのでしょうか?

 
 

「現実問題…」「割り切る」の正体は何か

順番に見ていきます。

 

「現実問題…」とは

これは表面的には「お金の問題」、もっと深堀りして考えると「命の問題」です。

 

「生きていくためにはお金が必要」と考えている人は少なくないですが、それはちょっと違うかなと思います。

 

正確に言えば、本当に必要なのはお金ではなく、「お金と引き換えに得られる何か」です。

 

さらに単純化して考えます。

 

その中でも、人間が生きていくために最低限必要なものは、「食べるもの」と「寝る場所」です。この2つが失われることは、餓死であったり凍死であったり…要するに、動物としての「死」を意味します。しかも、この2つを100%お金に依存しているという人は、結構多いのではないでしょうか(もちろん、「衣食住」の「衣」も必要ですが、着飾ることを捨ててしまえば、お金への依存度を極めて低く抑えることが可能な分野なので、ここでは除外しています)。

 

つまり、「そうは言っても現実問題、○○だよね」などと言われるところの「現実問題」とは、

・死を免れたい、生命を維持したい、という原初的欲求であり、
・その欲求を満たす手段を100%お金に依存しているということ
であると、私は考えます。
 
 
「割り切って生きる」とは
お金のためだと思って…
仕事だと思って…
 
「割り切ってやっています」
 
…とはよく聞く言葉です。
では、何を「割り切っている」のでしょうか?
 
まわりくどいアプローチになりますが、「割り切る」の辞書的な意味は、
個人的な感情を入れずに考えたり、行動したりすること。また、物事の結論をきっぱりと下す表現として用いられる。仕事や私生活の人間関係において、相手への過剰な期待を捨て、ある程度の距離を置いて付き合うことなどを、「割り切って付き合う」と表現する。
※ 「weblio辞書」より
ということなんだそうです。
 
だいたいの場合、「割り切る」という言葉は、人生…特に仕事に関する話で使われますね。
 
そして、多くの人にとって、仕事は人生の大部分を占めるものです。
 
つまり、「仕事だと思って割り切っている」とは、「人生の大部分について、個人的な感情、過度な期待を捨てて、適度な距離感で取り組んでいる」ということですね。この場合、「割り切る」対象は「人生の大部分」ということになります。一言で言うなら、「人生なんてこんなもの」という諦観であると思います。
 
この時点で私は、そんな人生に対する恐怖感を覚えるのですが、みなさんはどうでしょうか。
 
さて、ここまでの話をまとめますと、
「現実問題、お金が必要だから、仕事だと思って割り切ってやっている」という言葉が意味するのは、
1.生命を維持するためには、最低限「食べるもの」と「寝る場所」が必要。
2.「食べるもの」と「寝る場所」について、お金への依存度が極めて高い。
3.だから、お金を得るために「仕事」をする。
4.その「仕事」においては、個人的な感情、過度な期待を捨てて、適度な距離感を取る。
5.なぜなら、個人的感情や期待よりは、生命維持のほうが重要な課題だから。
ということになります。
 
「現実問題」を解決するために、
「割り切る」という手段を用いている
 
つまり、
生命維持のために、
自分の感情や期待を切り捨てて生きている
 
という単純な構図が浮かび上がってきます。
 
ちなみに、上記リストの5まで行くと、また1に戻ることになります。
どこかで断ち切らない限り、ぐるぐる回ってしまいます。
 
 

「enabler」としての半農半Xシェアハウス

この「ぐるぐる回ってしまう問題」は、どこで断ち切ればいいのでしょうか。

 

結論から言ってしまうと、半農半Xシェアハウスとして手をつけることができるのは、「2,食と住について、お金への依存度が極めて高い」という部分になります。

 

他の4つを順番に見ていきますと…

 

1.生命を維持するためには、最低限「食べるもの」と「寝る場所」が必要。

人間である以上、これは覆す余地がありません。

 

3.だから、お金を得るために「仕事」をする。

現代社会において、お金を得るための営みを否定することは現実的ではありません。地球上のほぼすべての人間が(個人の意思に関係ないとしても)参画している仕組みに対して、真向から敵対するような主張は到底受け入れられるとは思えません。

 

4.その「仕事」においては、個人的な感情、過度な期待を捨てて、適度な距離感を取る。

いわゆる「仕事」において、特に「割り切って生きる」という価値観を共有している集団において、個人的な感情や期待を前面に押し出すと、ほぼ確実に「めんどくさい人」認定されます。一方で、この要件を満たさない人、つまり、自分の価値観にぴったり合った職業について、安定した収入を得ることができている人は、半農半Xシェアハウスには魅力を感じないのかもしれませんね。

 

5.なぜなら、個人的感情や期待よりは、生命維持のほうが重要な課題だから。

「個人的な感情や期待」、「美学」や「ポリシー」と呼んでもいいのかもしれませんが、それらのために野垂れ死んでもいいと思える人はごくわずかでしょう。仮にそのような人がいたとしたら、尊敬に値するのかもしれません。しかし、共感はされても、行動を共にしてくれる人はほとんどいないでしょう。

 

よって、

2.「食べるもの」と「寝る場所」について、お金への依存度が極めて高い。

という問題に手をつけます。

 

この問題に対しては、「半農半X」というライフスタイル、及び「シェア」という手段が解決策…とまではならないにしても、ハードルを下げる(お金への依存度を減らす)ことにつながるのではないかと考えています。そして、2つを合わせたものが「半農半Xシェアハウス」ということになります。

 

「半農半Xシェアハウスとは何か」については、こちら。

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リンク先の記事を読むのが面倒な人のために、要約を挙げておきます。

 

まず、「半農半X」とは(『半農半Xという生き方』塩見直紀著・ちくま文庫より)

一人ひとりが「天の意に沿う持続可能な小さな暮らし(農的生活)」をベースに、「天与の才(X)」を世のために活かし、社会的使命を実践し、発信し、まっとうする生き方だ。

 

小さな暮らしとは、たとえばどんなに小さな市民農園、ベランダ菜園でもいいから食糧を自給していくシンプルなものである。
 「X」は使命(ミッション)。自分の個性、特技、長所、役割を活かして社会へのなんらかの貢献を目指す。大好きなこと、心からやりたいことをして社会に役立ちながら、それが金銭となり生活収入となる。
 
半農半Xシェアハウスの具体的な機能を簡潔に書きますと、このようになります。
・住居のシェアによる住居費負担の軽減
・小さな「農」による食料の自給及び食費負担の軽減
・シェアハウス内だけでなく、外部への貢献活動、表現の場となる開かれたスペース
・その他、車や生活雑貨等のシェア
 
ごく単純な話で、
 
食べるものについては、小さな「農」による自給という形をとることによって、お金への依存度を減らす
 
寝る場所については、「シェアハウス」という手段によって、お金への依存度を減らす
 
ということです。
 
ここで注意していただきたいのは、前述した「現実問題としてお金が必要だから…」という、その「現実問題」=「お金の問題」を否定するわけではないということです。
 
重要なのは、人生において「お金の問題」が占める割合を減らすこと、つまり、お金への依存度を減らすこと。また、お金への依存度を減らすことによって、「お金のために人生を割り切る」ような生き方から距離を取ることです。
 
 

食と住の不安がなくなると、人間はどうなるのか

もし仮に半農半Xシェアハウスのような仕組みによって、人生における「食」と「住」の不安がなくなると、人間はどうなるのでしょうか。

 

これは何の専門知識も持たない私の予想でしかありませんが、自分自身の「食」と「住」の不安がなくなった人間、つまり自分自身の生命維持に余計なコストを割く必要のなくなった人間は、

 

自分が所属する集団内、更には集団外に対して、自分自身の存在価値を示したいと思うようになる
 
のではないかと、私は考えています。
 
「自分自身の存在価値を示す」とは、半農半Xシェアハウスの本質的機能の部分でも触れたとおり、「自分の好きなこと、得意なことで人に貢献する」ということです。
 
この際に大切なことは、「仕組み<人間」であること。「仕組み」を機能させるために、「人間」が自身の個性や価値観を犠牲にするような事態を避けることです。この点に関しては、こうして書くのは簡単ですが、組織や集団として実現するのは相当に難しいことだとは思います。
 
さて、ここまで読んで、
「いやいや、オレは今現在それなりの金額を稼げていて食と住は安定しているけど、自分の得意なことで人に貢献しようなんて気持ちは全然湧いてこないよ」
と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 
そんなあなたも、もしかすると「老後のために」と、せっせと貯蓄していたりしませんか?
 
貯蓄そのものを否定するわけではないのですが、やはり人生における「食」と「住」について、それなりに不安を感じているからこそ、預金残高が気になって仕方がない、という面もあるのではないでしょうか。
 
何かあったときに助けてくれるのは、ごく近しい家族くらい
だから、常にお金で解決できるように準備しておかなければならない
 
という状態であれば、
 
生涯にわたって、お金の不安(≒自身の死の恐怖)からは逃れることができず、
よって、他人に貢献しようという意識も生まれにくい
 
という結果に陥ることは当然とも言えます。
 
そして、現代においては、共同体の破壊、分断により、「共有」「共助」の概念が失われつつあることがお金への依存を加速させている、問題を解決する手段としてお金に頼りすぎている、とも言えるでしょう。
 
 

半農半Xシェアハウスの目指すところ

冒頭部分の言い換えになりますが、半農半Xシェアハウスが目指すところは、
「食」と「住」に関する不安を
「私たち」自身の共助によって軽減し、
その「共助」がもたらす心身の安定によって、
すべての人が自分自身の存在価値」を示すことができるようになる
その手助けをするということです。
 
もし、将来「半農半Xシェアハウス」ができたときには、この目標に共感する人たちに集まってほしいと思っています。
 

 

長くなりましたが、現時点で書けるのはこれくらいです。

 

ここまで読んでくれたあなたに、いつかお会いできる日を楽しみにしています。

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