他人の人生を「もったいない」という人について

「〇〇さんが△△だなんて、もったいない」

 

と、人から言われたこと、ないでしょうか。

 

ぼくは、あります。

 

 

「仕事を辞めて、農業を学ぼうかなぁ」と人に話したときも、やはり言われました。

 

「もったいない」

 

そう言われるたびに、心の中にモヤモヤが生じます。

 

ぼくの生き方は「もったいない」らしい

ぼくは今までの人生で、結構な回数「もったいない」と言われたことがあります。

 

例えば、高校生のとき。

これは自慢ですが(笑)、ぼくはそれなりに学校の勉強はできるほうでした。

でも、当時のぼく、どうも受験勉強というものに違和感を覚えたらしく、

「大学って、別に行かなくてもいいのでは?」

と、先生や同級生に言ったみたところ、

 

…出ました。

「もったいない」

「あなたが大学へ行かないなんて、もったいない」

 

 

さらに、就職して「仕事を辞めようかなぁ」と、同僚に言ったとき。

 

…出ました。

「今辞めるなんて、もったいないですよ」

 

 

さらに、「農業やろうかと思うんですけど」と、職場で話したとき。

 

…また出ました。

「あなたみたいな人が農業やるなんて、もったいない」

 

どうやら人生の節目におけるぼくの判断を、「もったいない」と感じる人が相当数いらっしゃるようなのです。

 

そもそも「もったいない」とは

長らく違和感を感じていた「もったいない」という言葉。

 

そもそもどんな意味なのか、調べてみました。

 

「もったいない」とは
・まだ役に立つのに、無駄にされて惜しい。
・物の価値を十分に生かしきれておらず、無駄になっている。

 

 

つまり、

そのものから本来得られるであろう価値 > 実際に得られる価値

という不等式が成立する状態、と言えそうです。

 

先ほどの例にあてはめると、

  • 大卒者が得られる就職先&給料 > 高卒者が得られる就職先&給料
  • 仕事を辞めなかった場合に得られる給料、退職金、福利厚生 > 中途退職した場合に得られる将来収入
  • 現在の職場で必要とされる能力 > 農業において必要とされる能力

といったところでしょうか。

 

すべて実際に言われた内容です。非常にモヤモヤします。

特に3番目に関しては、いろいろ言いたいことがありました。

農業をかじる手前程度の勉強しかしていない身ではありますが、農業よりもクリエイティブな仕事はそうそうないと思っています。面倒なので、言い返しませんでしたが。

 

「もったいない」という言葉ひとつに対して、非常にしつこい考察を重ねております。

これは、もともとのぼくの性格というか、性癖によるものです(笑)。

 

「もったいない」に違和感を感じる理由

話がそれかけました。

 

つまり、ぼくの人生に「もったいない」という判定を下す人たちが言いたいことは、こういうことなんだろうと思います。

① あなたなら、本来であれば「〇〇という価値」を得ることができる
② しかし、あなたは実際には、その「〇〇という価値」を手放そうとする
③ だから、もったいない

 

これ、あたかも相手のことを思って言っているように聞こえてしまいますが、実は違うんだろうな、と思います。

 

「あなた」が置き去りにされてないか?

 

「あなたの幸せ」が置き去りにされてないか?

 

というか、「私の幸せ」にすり替わってないか?

 

最初に一文を書き加えると、より明確になります。

① 私が幸せであるためには、「〇〇という価値」がとても重要である
② あなたなら、本来であれば「〇〇という価値」を得ることができる
③ しかし、あなたは実際には、その「〇〇という価値」を手放そうとする
④ だから、もったいない

 

なんともおかしな話です。

 

大事なのは、その人が幸せであることです。

 

「幸せ」が目的であり、「〇〇という価値」は、「幸せ」という目的を達成するための手段に過ぎません。

 

そして、「幸せ」という目的を達成するために、どういう種類の価値が優先されるかは、人それぞれで違います。

 

「価値観」とは、そういうことです。

 

他人の人生を判定するな

他人の幸せを真剣に考えずに口をはさむなんて…

もっとちゃんと考えてやれよ!

 

…という話ではありません。

 

そもそも人間って、そんなに他人に興味ないですよね。

 

「この人にとっての幸せって何だろう?」と、真剣に考えられるほど他人に入れ込むことって、人生でそうそうあるものではありません。

 

だからこそ、他人の幸せを真剣に考えられないのであれば、せめて他人の人生をジャッジするな、とぼくは言いたい。

 

自分の物差しを持ったまま、他人の人生に土足で踏み込んで来て、

 

「はい、あなたの人生、もったいない」

 

…って、別に判定を頼んだ覚えはないんですけど、と言いたくなります。

 

頼まれもしないのに、草サッカーの試合に乱入して、

「はい、ストライク!」

と、判定し始めるのと同じことです。

 

いや、サッカーやってるんですけど…

そもそも審判頼んでないんですけど…

と、なりますよね。

 

自分自身の人生を「判定」するために

自分の人生は、自分で判定する。

 

大事なのは、判定する基準、つまり「自分にとっての物差し」「自分にとってのゴール」を明確にすることです。

 

日常生活の中で、

自分が幸せに感じたこと、自分がストレスに感じたことを逃さずに捉え、

「なぜ自分はそう感じたのか?」という自問自答を繰り返していくことで、

自分自身の価値観が研ぎ澄まされていくものなんだろう、と思います。

 

「価値観」とはつまり、「その人が幸せであるために、優先度の高い価値は何なのか」ということです。

 

そこがブレていると、他人の「もったいない」という言葉で、ポッキリと心が折れることにもなりかねません。

 

逆に、そこさえしっかりしていれば、そうそう不幸になることはありません。

 

ぼくは日々こういう「めんどくさい思考」をしています。

自分でも少し疲れますが、「自分は幸せになりたい欲が、人よりも強いのかもしれない」と、最近はプラスに考えるようにしています。

 

みんなで、自力で、幸せになりましょう。

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